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Drawingパリ

・際限なく魅力的なパリ(July 25, 2015)

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パリ「世界でもっとも美しく、もっとも創造力をかき立ててくれる街」いまでは、まさに、そう思うけれども、いくら誰に言われても、この魅力、すぐに気づく人とそうでもない人がいて、私は、後者でした。

最初の25歳のときの10日間のパリ滞在は、パリが、好きになれなかった。フランス語ができなかったし。イジワルもされた。でも、徐々に徐々に。トリコになって。最初のパリ滞在から35年が経過。あれから十数回に渡るパリ詣出。回を重ねるごとに、その魅力にとりつかれています。

ここには、美しさを優先することに凌ぎを削る文化があるから。それだけに、その美に対する門戸は狭いのか?

こんなコメントをいただきました。

名無しさん
パリばっかりつまらなくないですか?いろいろな事情があるのだと思いますが、もっと他の国にもチャレンジしてほしいです!せっかくいつも素敵な目線でものやことを見つめていらっしゃるのですから。いつものところでも気づくことや発見するアンテナをはることも大切と感じますが、もっと他の文化圏を桂子さんの目線でみたものを拝見したいです!誠に勝ってながらの意見でした。気をつけていってらっしゃいませ!

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なんだか、まさに勝手なご意見をいただきましたが、そういうレベルの場所じゃないことは確か。本当はバケーション気分で、南仏やそのほかのフランスの田舎も大好きだし、バスク地方まで足を延ばすのもいいなあ。

とは、思うのですが、今回は、絵の具デッサン用鉛筆をもって、ミュージアムパスを買ってやりたいことがあったので。

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(少し暑い時間帯は、マンタロを飲みながら日傘の下で。しかし、公園の木陰は危険があり。小鳥や鳩の落し物が!なので、そういう意味でも、傘の下が安全。灰皿は無関係です。たまたま置いてあった)

それでいて、カフェで街ゆく人たちを見ているだけでも幸せなのは、ロンドンやニューヨークの比じゃない。これは、パリだけ。そういう実感がわかっているかどうか。まあ、個人差があって当然。

北欧も、東欧も過去には訪問していますが、なかなか再訪問のチャンスを自分が作っていない。それをいいとは思っていないのですが。

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でも、こんなに、何度でも行きたい場所は、ほかにない。実は、ロンドンに住んでいた間に京都に行くみたいに通っていた。

やっぱりこのパリ文化に、この空気に触れるだけで、栄養を得ている実感を感じます。

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今年のフランスツアーと私のパリ旅が重なったのは、たまたまの偶然。ポンド高で厳しくなったツアーに対し、フランスの薔薇に誘われたかたちで。だって、ツアーで使うロンドンのホテルが一泊6.万円?
ありえない!ということが大きな理由。なので、来年もポンド高が続いたら、英国ツアーは、できないかも。

しかし、その代わりに、イタリアはローマの、長年の憧れだった、マジックガーデン「 Ninfa 」を目指したイタリア・ガーデンツアーも念頭にあり。映画ブラザーサンシスタームーンの景色にでてくるアッシジのメドウや、花の都フィレンツェ。イギリス移住前は、長年イタリアに住むつもりもあったのに、叶わなかった。親しみの深い彼の地であります。

とはいえ、海外にでることは、個人的にも世の中的にも、平和と幸せの賜物。社会の動きや、個人的な状況のなかで、行けなくなる理由原因は満載。何ができるか。先のことは、全く、何もわかりません。

だから、行ける時に行く!ということ。行ける限り、行く!ということ。生きている限り。

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そんなことを言って、やっとくることができた最初の二日間は、ほとんど、リュクサンブール公園を眺めていました。疲れを癒すために。

それ以外は、今回、滞在するためのアパルトマンのことで、かなり事務的なことや、移動のゴタゴタに巻き込まれて、くたびれたり、面倒の多い時間を過ごしていたので。掃除洗濯。整理整頓、あれ〜この洗濯機壊れてない?などと、普段の暮らしと同じようにやることも多くて。

だから、旅というのは、それほどの楽園ではなく、自分磨きの大いなるチャンスにもなります。

どこを旅しても価値はあると思うけれども、

そんな自分自身の磨かれ甲斐を感じるのが、この街なのでしょうね。

やっぱり、深く芸術に触れたい。それが建築であれ彫刻であれ、絵であれ花であれ。自分の魂の芯の部分が喜ぶのが、こうした美への、人類のあくなき追求を拝見すること。

※この記事は2015年7月に書かれたものです。文中のイベント、雑誌掲載の情報等は終了しておりますのでご注意ください。


・受け継ぐ、守る、景色のこと(June 29, 2015)

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きっと、気にかかること書いてるなあ。と、書きながら思ったのですが、いつもながら、疲れた頭で短い時間にネガティブな事を書くのは危険。とは、思いつつ。写真は今回の旅で撮った、薔薇の村、ジェルブロアや、今回、立ち寄ったノルマンディの村々、パリの日常。

なにゆえに、この古い街並みを残すか。便利か、不便か。ではない視点からこの景色が守られている。

以下のお便りを頂くのは当然の成り行きですね。名無しさんから。ありがとうございました。

「景色。というものを作る意識は日本にもあったと想いますよ。寺院の庭などベルサイユよりずっと古い庭を見ればわかります。日本の美にももう少し心を配っていただければと。」

ちょっと私も、言葉足らずでしたね。スミマセン。たしかに、日本でも、京都や奈良の寺社建築と庭園には素晴しい景観がありますよね。 私も、京都や奈良で寺社建築や庭を観るのは大好きです。京都か奈良に行きたいねー。は、家族の口癖なんですが。なんといっても、私の父までは代々、奈良県人でしたし、祖父は古典的な寺社建築の建築家でした。国際バラとガーデニングショウのコンテストで誰よりも「あかざ」さんの作る日本庭園を愛する者として、誤解をさけるため少し長くなるけれども、巧く伝わらないかもしれないけれども、書いてみます。

私のいう「景色」の意味。洋風かぶれの意味ではない。日本の美はあるが、あれがそのまま現代の暮らしに受け継がれてこれたのか。という疑問です。

「現代の日本の街並み」、いえ、「現代の田舎の日本の景色」でもいいのですが、それが、ヴェルサイユよりも古い、「日本の寺社建築と庭の景色」のまま、現代の私たちの国全体の「景色」として、ちゃんと受け継がれてきているのか。京都の寺と庭の景色には、箱庭のようなコンパクトな完結した美があるけれども。ランドスケープとして、現代の暮らしにそれが繋げられるか。

ということ。その「???」が、私の気持ちの根底にあります。

これは、結論の出ていることではなく、私のなかの、疑問です。

「...だろうか」ないし「???」です。

あるだろうか。という疑問です。そこは、わからないのですけれどもね。

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まあ、マリーアントワネットの田舎家の景色を引き合いにしたのは、失敗でした。

この写真で、それを言えばよかったのかな。この写真の景色は特に珍しくもない、ノルマンディの村の景色です。その、景観の概念。

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たとえば、パリの街では、17世紀の時点で、景観の色彩条例がでていたと聞きました。それはなんでも、ベイジュ、ネイビー、ブラウン、ブラックなどは良いが、赤や黄色などは駄目だと。

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先日もパリの街でマクドナルドが、グリーン地に黄色のグラフィックで、シックな感じで目に入りました。

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ヴェルサイユの街のゴミ箱の色、いいなと思って。

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(石畳は超歩きにくいのに、そこらじゅうに残っている)

いいたかったのは、あんな感じの景色が、今も普通に、一般人が暮らす街や村の景色にも、ある。てんで、珍しくない。ヨーロッパの景色としてある。(破壊された景色の場所も、そりゃあるけれど)。

特に今回巡ったノルマンディ地方は、第二次世界大戦で随分爆弾を落とされ、燃えた村が多かったと聞きます。

しかし、このように、時には、修復を繰り返し、街や村の景色を長く残してきたことを、偉業だと感じます。京都や奈良もそういう意味で、部分的に素敵な街並みが、ありますが。

私のなかで、ずっと続く「???」は、学生時代からずっと続いてきました。

「ランドスケープ(景観)の概念が、古来日本にはなかった」

のは、本当だろうか?本当は、あったのかもしれません。

大学の、景観に関するゼミで、それを教授から聞いちゃった私は、「そうなんだな」とずっと思ってきました。当時の池袋とか、地元の街並みを眺めながら。

だから、園芸も、盆栽や鉢植えなどでの園芸栽培は盛んになったけれども、イギリスの庭のように、それ(ガーデニング)が、景色作りのランドスケープに広がらないのは、なぜなのか。

震災があったり、台風があったり、戦争に負けたり、いろいろ大変だったので、仕方がないのですが。

ただ、現代のライフスタイルでは、私としては、残念ながら、西洋のほうが、学び甲斐のあることが、多いのです。

そもそも....、25年ほど前、人生に一度は、春夏秋冬を、西洋に住んでみなくてはいけないと切羽詰まった理由は、和の暮らしに戻れなくなっている、自分のライフスタイルが原因でした。「本物を知らないで西洋発のデザインの仕事をするなんて」と焦ったのです。いうほど、外国に移住するのは簡単ではありません。住み続けることも.....。

戦後すぐ、私の両親が関西から東京に移住。私は東京の新宿区に生まれ、そこそこに都会ではありましたが、子どものころは、畳に布団を敷いて寝ていた時期もありました。

でも、東京オリンピックのあたりを境に、物心つくとそれはベッドになり、食事もイスとテーブルの暮らしが始まっていました。父もデザイナー。バウハウス式を善しとしていました。

もう、畳に敷く布団や、畳の上で正座する食事生活はしないんだ。と、「はた!」と、気づいた時から、まずいんじゃないか。と、思い始めていました。では、イスとベッド、いわゆる「洋風」の生活のほうが暮らしやすいとして、その、本物である西洋の源流の流儀も知らずに、このまま日本で適当な「洋風」インテリアはいやだと思っていました。かといって、当時はよくわからなかったです。

そのあたりの話は、NHKのカルチャーセンターでお話しました。

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そう思ったからには、本物を知らなくては駄目だと思っての、移住でした。日本の美に興味がないわけではないのですが、畳の暮らしには戻れない。

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私は、イスやベッドで暮らしたい。ま、あとは、好みの問題なので、私は、日本の美に気を配ってといわれても、美しく和の暮らしの出来ている友人や、慣れた様子で着物を着こなせる友人に憧れますが、それはいうべき相手が違うように思いますね。(一応、我が家にも、↑和室あるんですが....。やっぱり、一番多くの時間を自分が過ごして気持ちのいいのは、この台所)

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もっともモダンにする手もあったのでしたが、もっとも好きだと思うことを追究したらこうなった。

ただ、今の日本で暮らして行くうえで、自分が納得するスタイルに持って行くには、どうすればいいのか。そこは、今も、悩みながらも、考えています。

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(ジェルブロワ、薔薇の村。日本の村の村起こしのヒントにならないでしょうか。日本の民家を活かして「花の村」できないかなあ。と、先日も、群馬県中之条町の仕事をしていて、思いました)

いつも思うのですが、街並の景色。さいきん、ようやく、街並みのランドスケープをよくして行こうと、行政の側の努力も始まっています。街から、電信柱や電線を無くして行こうという動きもでて来ました。地震や災害の多い国ゆえにその復興を考えると、その 難しさもよくわかるのですが。

でも、この際、私は、和か洋か。ということは、それは、個人個人が、好きに選べば良いこと。他人がとやかくいう筋ではないものの、和でも洋でもいいから、街をちょっと素敵に見せるには「緑の多い街並み」が大前提だと思っています。

あるいは、緑や花を、活かし、残して行くには、好きだったり、愛だったり、努力も要るんだという認識です。他人任せではなく。でも、それは個人のレベルでは、いうほど簡単ではない。と、例の環境省主催のイベントでもお話しましたが、ボランティアといっても、これも大変なことで、まずは、住民ひとりひとりの意識を上げる動きを。と、思うのです。はぁー。
長くなりましたが。

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結論としては、和でも洋でもいい。この景色は、たまたまヴェルサイユの中ですが、これと似たような。というより、むしろ、本物の景色が、普通に市民の暮らす街や村に存在するので、驚くというか。むしろ、ヴェルサイユよりも、(私にはこの景色はテーマパークみたいに見えたんですが)もっとリアルの美が現代に脈々と受け継がれていることが、羨ましく思えて仕方なかったです。

それでいて、ル・コルビジェも生まれている国ですし。コルビジェはコルビジェで別のところで景色に調和してるんだと思うんですね。

日本の風土のなかで、眺めの喜ばしさを考慮した街づくりや家づくりや庭づくりは簡単ではないけれども、先ずは、意識を持つところから。そんなふうに思います。とかいって!自分の庭をなんとかせぃ!出張や仕事や、旅行なんか行ってるから、手入れが悪いぞー。と、悩ましいこと連続。

常日頃思っている、こんなことを書かせていただく、良いチャンスでした。ながながとスミマセン。うまく伝わったでしょうか。

※この記事は2015年6月に書かれたものです。文中のイベント、雑誌掲載の情報等は終了しておりますのでご注意ください。


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